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江戸時代末期の蘭学者、緒方洪庵


根津神社のつつじ祭りに出かけました。
そして近くの本駒込駅前にある、緒方洪庵先生の眠っている高林寺へと足を伸ばしました。
緒方洪庵といえば、現在再放送されている「JIN-仁-」に登場する医師です。
本日は緒方洪庵を運命予報で診てみましょう。

緒方洪庵(おがたこうあん)・・・文化7年7月14日(1810年8月13日) 月曜日生まれ 第22の部屋所属 (行動力豊かな社交家)
性格は極めて温厚で人を怒ったことが無かったとそうです。
福澤諭吉は「(洪庵)先生の平生、温厚篤(とく)実、客に接するにも門生を率いるにも諄々(じゅんじゅん)として応対倦(う)まず、誠に類(たぐ)い稀れなる高徳の君子なり」と言っています。
第22の部屋の方は行動派ですが、気が短いところがあります。
温厚であったということは、8歳で天然痘にかかった(当時天然痘は致死率約40%の死病として恐れられていました。)が、助かったことからきているのでしょう。

洪庵は江戸時代末期の蘭学者、医学者、教育者で天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる方です。
名は章、後に洪庵と改めました。
大阪、江戸、長崎で蘭学、医学を学び、大阪に”適々斎塾”(適塾)を開き、診療と研究のかたわら、3000人におよぶ門弟の教育に当りました。
この塾から福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内などを輩出しています。
10年にわたる天然痘予防の活動を幕府が評価し、もぐりの闇医者が勝手に牛痘種痘しないよう、種痘行為を免許制としました。
同年、コロリ(コレラ)が流行したため洪庵は治療手引書を医師に配布し、日本医学の近代化に努めました。
洪庵は、幕府の奥医師として江戸に招かれましたが翌年の文久3年(1863)に病没しました。
緒方洪庵の墓所は東京の高林寺のほか、緒方家の菩提寺である大阪市の龍海寺にもあるそうです。
大阪の龍海寺には妻である八重の墓もあります。
八重は七男六女をもうけて育児に追われる一方で、洪庵の事業のために実家から仕送りの工面をしたり、塾生の面倒も見ていました。
適塾の大部屋にある刀傷に象徴されるように、塾生は皆血気盛んです。
福沢諭吉みたいに頑固で短気な人がいたことからも、いかに上手くコントロールしていたかが伺えます。
福沢諭吉は、八重のことを「私のおっかさんのような人で、非常に豪気な人」と、評しています。

明日の運命予報をお知らせします。

運命予報占いとは、太陽星座=地球が太陽の周りを回る一年を12等分に分割するのに対して、月が地球の周りを回る27.3日を1日ずつ27部屋に分割したものです。
4月16日(木)は第25の部屋所属の日となります。
そして最凶悪日を迎えるのが第10の部屋となります。

ワースト3部屋は以下の通りです。
27部屋のうち、××(最凶悪日)が1部屋、×(凶日)が2部屋巡ってきます。
(××)第10部屋
(×)第1の部屋
(×)第19の部屋
この日は、基本何事もうまくいかない日となります。
無理せず、悪い日ということを自覚し、しっかりと向き合うことが大切です。

運命予報占いは「悪い日」をお伝えすることで「人生の転ばぬ先の杖」として生活を悔い改め、精進することを心掛けるものです。

日々の吉凶は、運命予報オリジナル吉凶カレンダーをご覧ください。

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